スミスウィック商品ラインナップ

スミスウィックヒストリー

ルアーの命はアクションにあり。

■ほうきの柄を削ることから始めたジャック・スミスウィック。

 ルアーメーカーの誕生は、釣り大好き人間が自分でルアーを作り始め、それが釣れると評判になってメーカーになる、というケースが大半だ。スミスウィックも然り。  創業者ジャック・K・スミスウィック(Jack K.Smithwick)は、ルイジアナ州シュリーブポートでビジネスマシンのセールスマンをしていた。彼は幼い頃から大の釣り好きで、少年時代から自分でルアーを作っていたという。 彼はまじめに働き真剣に釣りを楽しみ、熱心にルアーを作り続けていたが、ある時ルアーを出入りしていた会社の人たちに売り込み始めた。趣味のような商売の始まりだ。1947年のことだ。
 ジャックは当初、妻が使っていたほうきの柄を削ってルアーを作ったという。それもキッチンで細々と作り続けていたらしい。しかし、このルアーが評判になる。顧客たちの口から口へと伝わり、片手間にやっていられなくなった。妻にはキッチンから追い出され、ガレージに引っ越さなければならなくなり、ルアーの材料となる原木を探さなければならなくなった。
 評判が評判を呼び「スミスウィックのルアーで釣ったんだ」と聞いた人たちは「オレにも分けてくれ」「売ってちょうだい」と彼をせき立てる。ジャックはこれはビジネスとして真剣にやらなければならないと悟り木旋盤を購入、ハンドメイドからマスプロダクト(といっても手工業だ)への道を歩み始める。1949年、こうしてマスプロダクトの第1弾としてスウィッシャーのデビルスホースがデビューすることになる。
 初期のデビルスホースは、当時の他のルアーと同じように重く、スローシンキングタイプだった。昔のルアーは大きなサイズのものが多いが、それはその当時のベイトキャスティングリールはダイレクトドライブ方式で、ルアーの重みでラインを引っぱり出さないことには遠くへ飛ばなかったためだ。そしてリールの進化とともにルアー自体も軽くなっていき、デビルスホースもフローティングタイプへと進化する。
 このスウィッシャーは今でもウッド製で市販されている。50年以上ほとんど同じ姿でラインナップされているわけだが、進化が止まったというより変えようがないほど当初から完成度が高かったと言えるだろう。

■多くのプロにとってログは、賞金稼ぎになくてはならないルアー。

 スミスウィックにはもう1つ、忘れるわけにはいかないルアーがある。ラトリンログだ。アメリカ人に「ジャークベイトといえば何を思い浮かべるか」と質問すると、必ず返ってくるルアーの1つである。理由は簡単だ。釣れるからである。
 このラトリンログのデビューは1950年代だ。このルアーは当初、ラトルは入っていなかった。70年代後半になって「Rattlin’~」になる。ラトル入りのルアーはコットン・コーデルのスーパースポットが最初だが、ミノーとして最初に追随したのがこのログだ。
 ラトル入りの最初のミノータイプとして再デビューしたラトリンログは、バスプロ達の大のお気に入りになる。ゼル・ローランドをはじめとしてトッププロの多くが「賞金稼ぎになくてはならないルアー」に挙げている。 「魚を探す時にはいつもこれ。これを最初に投げる。トップマネーメーカーだよ」というプロもいる。
 ログにはサスペンドタイプもラインナップされている。プロがシークレットでチューニングしていたものが製品化されたものだ。これもトーナメントシーンで爆発的な記録を叩き出している。
 現在ではログシリーズのベースでもあるARB1200のみならず、エリート8ログ、パーフェクト10ログといった新しいタイプのログもラインナップに加わり、 ログがカバー出来る状況をより幅広いものとしている。
 ミノータイプのルアーは日本製のものも人気が高い。見た目がベイトフィッシュにそっくりなリアル塗装はいかにも釣れそうな気分にさせてくれるし、重心移動システムを搭載したミノーは確かに良く飛ぶ。残念ながらラトリンログにはそうした要素は見当たらない。にも関わらず、近年は日本においてもラトリンログが再び脚光を浴びるようになった。
 ラトリンログを実際に使ってみると、ルアーの命はアクションなんだとつくづく思い知らされることになる。そしてそのアクションを引き出すのは、アングラーの腕であることに改めて思い当たる。それが出来た時、このタイプのルアーがトゥイッチベイト、ジャークベイトと呼ばれる意味がよく分かる。そしてまた、これこそルアーフィッシングの楽しみ方の原点なんだと思い至ることだろう。ラトリンログが日本で再び脚光を浴びるようになった背景として、それだけ本質のわかるレベルのアングラーが増えたということなのかもしれない。