1977
スミスが初めて手掛けたフライリール。しかしハーディに似ていたため当時の代理店から指摘を受け短命に終わる。この経験が後の完全オリジナル”MARRYAT”の開発へと繋がって行く。(玉越和夫)
1979
当時のクランクベイトといえばコットンコーデルのビッグオー、ヘドンのビッグヘッドなど舶来品が主流で、国産のクランクベイトはまだまともに使えるものが皆無と言っていい時代でした。当時の国産プラグはまだ海外製品を模したものが多く、しかも精度が悪かったためにまともに泳ぐものがなかったのです。つまり「国産プラグ=安物」だったわけです。そのような中で発売されたハンドメイドのバルサ50はその造りもズバ抜けて素晴らしく、価格もまた当時としてはかなり高価なものでした。日本人だってその気になればこれだけのものが作れる。いずれは日本のルアーが海外製品を凌ぐであろう予兆というのは、今になって思えば、当時のバルサ50に現れていた気がするのです。
1980
スミスは元々は海外製品の輸入販売からスタートしており、バスルアーに関しても多彩な海外製品を輸入販売していました。広告にあるギルモア、ゴールデンアイの他、ヘドン、コットンコーデル、ロジャース、バークなど。プラグ以外でもJ.W.ワーム(ゼタベイト)、バンブルビーやシュープリームのスピナーベイト等々。これらの製品でバスフィッシングを学んできたという人も少なくないでしょう。
1980
1020タイガーを私達は1979年に復刻させ、翌年このパーチカラーを追加しました。タイガーと言えばこの#1020が中心で一番使われていました。私も5月下旬から6月に掛けて中禅寺湖でブラウンを狙うときのメインルアーの一つでした。(玉越和夫)
1980
スーパーストライクの前身、スーパーストライカー初期の広告。コルクのガングリップが上手く出来ない為、こんな形状になりました。自分の手に合わせて削れるように太目にしてあります。とうたっていますね!(玉越和夫)
1981
ここからの7作品は山田周治さんの代表的なコピーが印象的です。特に「バス狂いのスミス」、「もっとトルクを」、「うにょ対クイッ」などはコピーだけで全てが完結する素晴らしいもので、この時代のスーパーストライクの広告は多くのひとに強い印象を与えました。(玉越和夫)
1981
スミスのトップウォーターフィッシングをアピールするコピー。当時からスミスの考えるトップウォーター(いまで言うスミススタイル)を啓蒙する事を積極的に展開していた。まだ綺麗に成型されたコルクのガングリップは登場していませんね!(玉越和夫)
1981
1981
クランクベイトからスタートしたバルサ50が、ペンシルベイト(ビッグラッシュ)、ポッパー(アンクルスミス)、ダブルスイッシャー(ホッツィートッツィー)、シングルスイッシャー(スマートアレック)と展開していった中、次に来るものは当然の流れとしてノイジーだったわけですが、水を受けるウイング部分をまさかネズミの耳で表現してくるだなんて、誰しも想像が付かなかったことでしょう。
1982
これもへドン社でまだ残っていて使えるモールドを確認して復刻させたルアーです。カズンIIは使い方が難しかったのか?あまり支持されませんでした。限定復刻シリーズの最初がウッドバンプでした。(玉越和夫)
1982
アルファー&クラフトとの関係を一方的に解消された時のユーザーと小売店への告知広告。こんな広告、なかなか打てませんよね!社内でも賛否両論ありました。(玉越和夫)
1982
国内初のシーバスロッドとして発売されたサーフプラッギングとタイドラッシャー。のちにSiCガイドにマイナーチェンジとなりますが、初期モデルはワイヤーガイドを使っていました。ここで注目してもらいたいのがグリップです。手で握り込む部分の全てがコルクで覆われ段差もありません。リールシートも含めたオリジナル設計でした。
1982
これも限定復刻シリーズです。これもウッドクラシックシリーズの物ではなく本来のフォルムに拘りました。でもチンガードへの刻印は実現出来ませんでした。(玉越和夫)
1982
マリエットシュープリームバイスにテーブルタイプが出来た時の広告です。アメリカからも要望されていましたが、当時⽣産数も少なかったので、まずは国内販売のみを先⾏させました。そんな経緯をそのままキャッチコピーにしてしまいました。(玉越和夫)
1983
スミスが作り上げた完全オリジナルMARRYAT FLYREEL。巻き取り時もラインを引き出す時もドラッグ音のしないサイレント仕様で、さらに引き目の美しさを強調する為、あえて穴の無いクラシカルなタイプも登場させた。(玉越和夫)
1983
へドンの限定復刻シリーズ。私の持っていたザラゴッサ・オブ・フロリダを基に復刻させました。ただ残念なのはテールが指⽰よりも細くなってしまった事。これがアクションに影響を与えたと思われます。(玉越和夫)
1983
⾃分が初めて買ったスミスのロッドが「スーパーストライクGC-60」でした。組み合わせていたリールはアンバサダー5000C。このタックルでクランクベイト、スピナーベイト、バズベイトなどから、スーパーグラブのジグヘッドリグまで投げていました。⾼校⽣から⼤学⽣の間に最も⼿にしたタックルであり、宝物でした(池島竜一)
1983
1983
商品が一切出てこない広告です。こんなの今では考えられませんね!自分たちの思いを分かって欲しい!それだけを発信しました。この時代のスミスは自分たちが楽しいと思う事を具現化してみんなに知ってもらおうと言う自由な機運の満ち溢れていました。(玉越和夫)
1983
メインコピーで興味を持たせ、文章を読ませて納得させる。そんな狙いが素晴らしい。(玉越和夫)
1983
1983年プロジェクト企画書の基本方針に、当時のプロジェクト長がこう書いています。「スミスが羽鳥静夫氏と共同で開発するウッドバスプラグ。バスを誘うアクションの追求、バスプラグとしての塗装の追求に総力を注いだバスプラグの中のバスプラグ。バス釣りに情熱をかたむけた者たちが、バス釣り好きのために創ったバスプラグ。」バスフィッシングが一般的じゃない時代に、夢中になって遊んでた若き私たちの熱さをひしひしと感じますね。羽鳥さんが居たお陰で形と機能は考える必要はなかったとはいえ、それを工場量産品に持って行くのは並大抵の苦労ではなかったですが、その情熱に答えてくれた工場の努力もあり作ることが出来ました。「バス釣り好きのために」と謳っていますが、一番使いたいルアーにしたいと望んだのは、私たちだったかも知れません。(鳥居祐二)
1984
オールドへドンから選択して復活させたウッドクラシックシリーズの第2弾!3層のグラスアイもチェコで作らせて装着したのに、目の周りのウッドの削りが雑で狙った仕上げにならず、苦い思いでしか残っていないのです。(玉越和夫)
1984
「カーボナイト・バシングブランク」。当時まだ学生だった自分はこの言葉の響きにどれだけ憧れたことか。シュープリームキャストシリーズはスーパーストライクの中でも価格帯が一段と高く、最高級モデルとの印象を持っていました。当時の標準よりも高弾性の航空機用カーボンシートを使ったロッドだったとのことです。(池島竜一)
1984
今でこそ東京湾を中心にボートシーバスガイドや乗合船が多数存在する時代になりましたが、当時は千葉の小峰丸、船橋の石友くらいしかなかった時代です。当然の事ながら、日本初のボートシーバスロッドです。
1984
1985
1985
あの、デイブ・ウィットロックからお褒めの⼿紙をいただき嬉しくて広告にしてしまいました。(玉越和夫)
1985
これも⼭⽥周治⽒が⼿掛けたコピー。これだけで何かウキウキして釣りに⾏きたくなりませんか?(玉越和夫)
1985
1985
1985
羽鳥静夫さんの釣りで特徴的な事項の1つにボートディスタンスがあります。岸を狙って釣っていく際にボートを沖側に離す、その距離が普通のアングラーよりもだいぶ遠い。よくよく考えてみれば実に当たり前のことです。それだけ岸辺のバスに釣り人の気配を感じさせないわけですから。だから羽鳥さんの釣りはロングディスタンスをカバーできる6ft半という、少し長めのロッドになる。そしてルアーの動かしやすさを追求し、引き抵抗の強さ別に2種類のパワーを求めた。そうした結果生まれたロッドがハトリーズスティックというわけです。そうした誕生背景を念頭に入れてこのロッドを使ってもらえれば、その真価がきっとおわかりいただけるかと思います。ナイロン8~12lbでの使用がマスト。
1985
グッドデザイン賞を獲得した時の広告です。(玉越和夫)
1985
私が一番長く愛用していたプラッギングロッドでした。今の軽量化されたロッドにはない、ブランクとガイドの重みで、手首をちょっと動かすだけでしなやかにたわむロッドがペンシルベイトを柔らかく泳がしてくれる良いロッドでした。歳と共にその重さが堪えてきたので、今はウィゾに変わりましたが。(鳥居祐二)
1986
兎に⾓ワームもトップで使いたかった私達はアメリカのビデオに影響されこんな物を作ってしまった。とてもエキサイティングで⾯⽩い釣りであったが、ワームだけ銜えられて鍼掛かりが悪かったのを覚えています。このシリーズのポコット(ポッパー)は⼝の仕上げが綺麗にできず、何回もやり直しをしている内に⼯場が倒産してしまい幻に終わりました。また、⼯場と仕上げ等で直しを繰り返している間に、コー○ランからコピー品が先に出てしまったのでした。(玉越和夫)
1986
「タイドラッシャー」、「サーフプラッキング」以来のシーバスロッドを作ると⾔う事で、NEWシーバスロッドのネーミングを社内募集しました。当時営業だった⾃分は東海地区を担当し、シーバスロッドの需要と必要性を強烈に感じ、考えに考えた渾身の名前「ブローショット」が採⽤されました。向かい⾵に向かって打つ事が多いロケーションを意識したものです。(鈴⽊悟)
1986
スミスではゲーリーヤマモト製品を1980年代中頃から輸⼊販売していましたが、当初のフラグラブは硬く、さほど⾼い⽀持を得られたものではなかったように思います。それが⼀変したのはSSS(Super・Soft・Salty)化した1987年で、まさしく旋⾵を巻き起こしたといっていい出来事だったと思います。それ以前にも塩⼊のワームはありましたが含有率は低く、特別に良く釣れるという印象は持てませんでした。以後、ワームにソルトを混ぜ⼊れることが必須条件となっていったのはゲーリーマテリアルの威⼒が只者ではなかったからに他なりません(池島竜一)
1987
元々ルアーロッドの分類というのはベイトキャスティングロッドとスピニングロッドに大別され、その中から用途に合った硬さを選ぶという考え方が主流だったのです。具体的には、ブラックバス釣りにはML~Mアクションのベイトキャスティングロッドが推奨され、湖でマスを狙うならばL~MLアクションのスピニングロッドが推奨される、という具合でした。そのような中でいち早くバス専用ロッド「スーパーストライカー」を発売したスミスがトラウト専用ロッドをラインナップするというのは当然の流れでもありました。この時代になると国産・海外品問わず多種のルアーロッドが存在していましたが、トラウト専用のルアーロッドとして発売されたのはトラウティンスピンGSシリーズがそのはしりとなりました。
1987
スミスオリジナルバスルアー開発プロジェクトの初のプラスチックプラグ、そしてシステムディープシリーズ第一弾。動きのイメージから、「あわて者、ひょうきんな奴、せかせかした奴、短気な奴」の意味を持つ「Hasty」とネーミングしましたが、正式な発音は「ハスティー」ではなく「ヘイスティー」と発売寸前に発覚。とはいえ、時すでに遅く、語呂も悪いので無視しました。(笑)それまでのクランクベイトにも深度表示されたものはありましたが、トローリング計測の物なので実際のキャスティングの釣りでは比較はできても正確ではありませんでした。そこで、「魚探がなくても正確に深さが分かるクランクがあったら良いね!」というアイデアから、ベースデザインは羽鳥さんにお願いして、「システムディープ」をコンセプトに始まりましたが、それが開発に大きな壁となって立ち塞がりました。羽鳥さんの釣れるアクションという機能を維持して、決められた深度をトレースできる設計という、経験もノウハウも全くない所から出発し、工場のスタッフと二人三脚で構想から完成まで1年半もかかってしまいましたが、多くのバサーにクランキングの楽しさと釣果をもたらし、その後、多くのオリジナルプラグに繋がる自信作です。(鳥居祐二)
1987
アワビシートを貼り付けたスプーンは昔から根強い支持がありました。特にトラウトに関しては、特効薬的な威力を感じられる場面があるのも事実です。アワビ貼りで登場したプリズナーは、諸事情でアワビシートの貼り付けが出来なくなってしまいました。現在ではピュアシェルシリーズにおいてアワビ貼りが受け継がれています。
1987
学生時代に釣具店でアルバイトをしていた際に、飛ぶように売れたのがハスティーの1番と2番でした。それまでの日本製のプラグは曲がって泳いだりバラツキがあるものが多かったものがハスティーあたりから劇的に品質が良くなり、安心して人にも勧められるようになりました。(池島竜一)
1987
日本のオフショアゲームの黎明期に生まれたロッドです。正直なところ、今のオフショアゲームで使うにはあまりにも厳しいと思います。オフショア用のタックルは時代による性能差が非常に大きいです。その要因となっているのがラインで、PEラインの登場が最大のエポックメーキングな出来事だったに違いありません。初代オフショアスティックが発売された時代はオフショアゲームもまだナイロンラインの釣りでした。
1987
1988
遊ぶロッド。「BATTLEAX(戦う斧)」、トーナメントロッド「TERRAMIS(元気にやろう)」のコンセプトとネーミングが逆だと思うんだけど・・・と思った。それと、リール位置下までEVAを装着させるため?トリガーを後付け接着する構造にしたが、初期ロットは取れる不良が出たため、木槌でトリガー部を引っ叩いて検品した思い出深いアクショングリップ。(鳥居祐二)
1988
ブランクスルー構造のロッドが登場してからバスロッドの自重が⼀気に軽くなり、特にトーナメント志向だった⼈の多くはこの頃にロッドを買い替えた事と思います。⾃分もテラミスを複数本買い揃えてトーナメントに参加していました。(池島竜一)
1989
⽻⿃静夫⽒デザインのシャローレンジを攻略するシャッド。コンセプトであるヒットゾーンの広さを証明させる為、琵琶湖で⽻⿃さんと何⽇もテストして千匹以上のバスを釣った事が思い出されます。当時はミスティーでもハスティーでも同様のテストが⾏われました。(玉越和夫)
1989
シャッティーは本当に薄っぺらいフォルムをしていて、決して真っ直ぐに投げやすいルアーではなかったです。そんなユーザーの声が多かったのか、のちにやや厚みがあり、さらに重心移動を備えたウインドシャッティーというモデルに変更になりました。するとキャスタビリティーは確かに向上していたのですが、初期型シャッティーの軽快なレスポンスがやや失われた気がしました。実際に釣り⽐べてみても初期型シャッティーの⽅が良く釣れた記憶があります。(池島竜一)